きかんし今昔物語
文工会館を事務所に、設立運動に取り組む
社屋いまむかし
1949年、東京都港区芝愛宕町2丁目100番地(現西新橋3丁目)に土地を取得して、木造2階建ての社屋が建設されました。
1950年代は厳しい経営状態の中で一部の土地を切り売りせざるを得ない状況になり、道路がわに木工所、洋品店などが並んでいました。
その後、印刷需要が急激に高まり、生産能力の面から仕事を断らざるをえないという状況が続き、その解消策として、1964年に港区金杉橋に鉄筋地上7階建て、地下1階建ての金杉橋工場を新築しました。また、同年に本社の鉄筋コンクリート建替え工事に着手し、第1期工事は65年に完成しました。
1969年には鉄筋地上6階地下1階建ての第2期工事が完成し、威容を誇りました。
その後、北側(1977年)と西側(1984年)の増築により、2003年末に辰巳の新社屋が出来るまでこの形で歴史を見続けてきました。
通信新聞社・森沢光一さんの話(1989年・創立40周年記念誌から)
いまも目を閉じますと、当時の愛宕山周辺の情景やら、印刷所のたたずまいが脳裏に浮かんできます。周辺を見回しますと、愛宕山より高い建物がなかった時代で、車も少なく、おっとりとして情緒に富んだ雰囲気に囲まれていました。
印刷所の玄関を入ると、すぐ目の前が板作りの階段だったと思います。、右側が営業課で、いかめしい男性が受付と書かれた小窓越しに顔を覗かせていました。
旧社屋(移転直前):敷地面積 1120平方メートル/延床面積 6165平方メートル/鉄筋鉄骨8階建て