<第2回>校正室いまむかし

 「井戸のそばに陣地をとれ」、「新品を確保しろ」-これは創立当時校正室に来社されていた校正マンの”合言葉”だったそうです。
 塗料報知新聞社の元編集長の新井晃司さんは、当時の思い出を次のように語っています。
 『塗料さん、塗料さん』…声が下から上がってくる。重要文化財に指定されてもいいような、正方形で縦に長い木製の筒を覗くと、ゲラ刷りの人の顔が上を向いている。目と目がパッチリ合ってから、木綿製のロープを手繰ると超特大な紙バサミに挟まれたゲラ刷りが手元に届くという具合だ。
 さて、校正用具は極細の毛筆と赤インキの入ったツボである。「弘法筆を選ばず」ではないが、、われわれのような下手糞のヤツほど新品を選びたくなる。初おろしの筆は毛先も最高で、直しのラインもきれいに引けるし、見栄えもよくつい自己満足によってしまう。
 当時、われわれ校正マンには合言葉があった。つまり、校正日になると「井戸」すなわちゲラ刷りの出口の横に陣地を取れ、毛筆の「新品を確保しろ」である。今ではとても考えられない体験である(30周年記念文集より・まんがは西山進さん)

 また、全専売労働組合(現全たばこ労働組合)の教宣部員だった河崎俊夫さんは、初めて校正作業に来たときの印象を次のように語っています。
 機関紙印刷所に初めて顔を出したのは、20歳のときだった。汚い-ゴキブリが床をはい、本当にねずみも顔を出した。夏は、炎天下の空気をそのまま校正室に持ち込んだように暑く、ゲラが扇風機や外からの風で、よく飛んだ。冬は”燃やす”暖房と、締め切った窓で、臭くにおった。
 「校正室がきれいだ」と言われていただけに、逆であったという最初の印象は、29年経ったいまも鮮烈である。
 機関紙印刷所の校正室が汚いという印象は、他の仕事で別の印刷所に行くようになってから薄れた。よその校正室ははるかに狭く、さらに汚かったからである。

 さて、1959年には、仕事の流れをスムーズにするために2階部分の補強とともに校正室も移設しました。これは、安保改定反対闘争の高まりによる大量の宣伝物の発行などにより仕事量も、5年間で組版ページ数が22.8%、印刷部数が72.3%と急増したことに対応するものでした。
 1962年当時の記録では、労働組合の中央単産が発行していた機関紙69紙のうち、機関紙印刷が受託していたのは38紙ということで、過半数を制していたわけです。
 このときの校正室は1970年ごろまで利用されました。
 受注量増加への対応として、1964年に金杉橋に工場を新築したわけですが、もちろんここにも校正室が作られました。
 元本州製紙労働組合の須賀節郎さんは、当時の金杉橋工場を振り返り次のように語っています。

 銀座から都電に乗って、金杉橋停留所下車、徒歩0分の金杉橋工場では、タブロイド版新聞の活版印刷が行われていた。校正室も本社とは比較にならぬほどこじんまりしたものだったが、、活版印刷の頃はまだまだ、「新聞づくり」の実感が味わえた。
 だが、それもつかの間、コールドタイプシステムという組版方式に変わり、説明を受けた当初は、全く理解できなかった。
 「原稿は完全原稿でお願いします。字数、行数は正確に計算してください。入稿時に割付も同時に、校正は1回で…」。印刷所の注文に面食らった。 

校正室から生まれた「あたごくらぶ」

 今でも新春インタビュー、編集講座やお花見会、ビアパーティ等々でご存じの「あたごくらぶ」も、校正室から生まれた利用者の会です。
 時代の流れか、今はずいぶん少なくなった校正室での編集者同士の交流、古き良き時代には校正室に2日も3日も通って、一日中校正-というよりゲラの出るのを待っていました。自然と編集者同士の交流が生まれます。囲碁、将棋はもちろん、雑談からまじめな編集に関する話し、印刷所の対応に対する愚痴-等々。
 あたごくらぶは1966(昭和41)年4月23日に発足しました。写真は新橋「ミュンヘン」で行われた発会式の時のものです。正面には当時のきかんしをささえた、武内社長(初代)をはじめ石井、小池、石原各氏が神妙に座っています。手前は編集者の方々、ツワモノぞろいといった感じがしませんか。
 あたごくらぶについては、別の機会にあらためてご紹介します。

<詩>全厚生労働組合 渡辺亀雄さん(30周年に寄せて)

 子連れ校正

インターホンが
「全厚生さ-ん」と呼ぶ
息子が
”父ちゃん”と私をこづく
「おまえ、取っておいで……」
「うん……」
息子は、目を輝かして
小ゲラを取りにゆく
階下から
ベルトにはさまれた小ゲラが
筒状のボックスから送られてくる
赤字を入れた小ゲラを
今度は
校正室から階下へと
ベルトにはさみ
ボタンを押すと
小ゲラは垂直に降下する
それが息子には
たまらない魅力なのだ
おやじの働いている姿を
息子に見せておくといい
そんな気負った気持ちではないのだが
共働きの私たちの生活の中で
時に
息子を一緒に連れてくる必要に迫られる

「今日は、印刷所に行くよ」
そういうと 息子は 遊園地へでも行くように
喜喜としてついてきた

印刷所は汚いけれど
息子には
そこは 無数のオモチャの宝庫なのだ
文選の職場の
小さい活字から大きい活字
ひらがなや漢字やアルファベットが
ぎっしりと壁をなしている
二倍ゴジックで
わ・た・な・べ・て・つ・お
と拾ってやったら
自分の分身のように
大切そうにポケットにしまった
写真製版やマンガ凸版も
息子のお気に入り
友達には手にすることのできない
息子だけが持っているオモチャになる
-ぼく、大きくなったら 印刷やで働くんだ
息子は私にそう言った
うれしいような
困ったような
くすぐったい気持ちが
俺を
二十年先の未来に押しやる

その息子も大学生になったが
印刷所で働くとは言わなくなった


1970年代の校正室

1985年に全面改装